祖母のタンスを家具工房をしている大学時代の先輩にリメイクしてもらいました。少し前のことですが、その話を記録しておこうと思います。
この話には、実家を手放す話が関わってくるため、まずはそこから…(笑)
母が亡くなって10年めにようやく解体を決心
2008年に母が亡くなってから、ずっと空き家だった実家。
土地のみが借地だったため(昔はそうやって家を所有している人が多かったらしい)、ずっと借地料を払い続けていました。
叔母が育った家だから、叔母が生きているうちはそのままにしておこうかと考えていましたが、手放す勇気が持てなかったのはわたし自身です。
母の三回忌が終わるまで、実家と東京の家とインドを行ったり来たりしながら暮らしていて、その後、インドへいるときは年に一回帰って大掃除からはじめ、一週間ほど滞在してまた戻る。
あとは、鍵を預けていた幼馴染がときどき空気の入れ替えに行ってくれていました(ありがたい)。
家は、空き家にしていると傷みが激しい。
もともと、母が生きていた頃から、床は沈みはじめていたし雨漏りもしていました。
空き家になってから、さらに傷みは激しくなり、友人家族へ貸す話も出たりしましたが、そうこうしているうちに雨漏りがひどくなり、家の中のあちこちがカビるように。
とりあえず雨漏りを修理しようかと大工さんに相談するも、家は築100年近く経っており、瓦の葺き替えには何百万もかかるから解体の方が安くつくよと言われてしまったため、防水シートを応急処置で貼ってもらいました。約15万円なり。
そしてついにはシロアリにヤラれてしまい、私の部屋の柱と床が食べられてしまったのです。
近所にシロアリが広がってしまっては、空き家のままにしているからだと言われかねない。
20万円をかけて駆除だけを行い防虫はせず(後から先にシロアリにお隣さんたちが気づいていて駆除をしていなかったことが判明したのですけれど)、空き家のまま維持していました。
駆除してくれた業者さんからは、「いつか床が抜けますよ」と言われて、4〜5年ほど経過。
海外に住んでいては、売る段取りも何もつけられません。
2017年に帰国して、母が死んで10年の節目でもあるし、思い切って実家を手放そうと決心しました。
まずは売ることを考えた
叔母に「もう維持するのは限界が来ているから、手放そうと思っている」という話をして、不動産屋をあたることからはじめました。
地元を出て、ずいぶんと時間が経っているため、どこの不動産屋がいいのか皆目検討もつかず、ネット検索だけが頼り。
- 借地でも上モノだけ売ることができるのかどうか?
- 賃貸に出すという方向性はあるのか?そのために改築する費用は?
- 土地の持ち主にもらってもらうことはできないか?そういう話も聞いたことあるし
- 更地にして土地を返せと言われたら解体するしかない。その費用は?
可能性をリストアップして、ネットで見つけたところに見積り依頼をしていく。
まずは売る話。そして賃貸の方向性。
3〜5社くらいに連絡をして話をすると、改築費用も解体費用も見積もることができるというので、ご近所の大工さんも含めて見積もりをだしてもらうことに。
ある不動産屋は、借地権を譲渡して家だけを売ることができると言い、駅からそこそこ近い便利な立地でもあるから古くてもペット可にすれば貸すこともできると言ってくれました。
別の不動産屋は、土地がなくて車が入らない坂道ばかりの家は借り手がいないからと解体の一択。
解体の見積もりをとりつつ、借地権譲渡の話を地主さんへ話してみることになりました。
解体するしかなくなった
地主さんに話してみると、
わたし以外には貸したくない。今の時代、どんな変な人が来るかわからないから、わたしにならば継続して貸してもいいけれど、別の人には貸したくない。
の一点張りでした…。
地主さんの家も築年数が古かったため、お金は要りませんから実家をもらってもらうということはできませんか?と聞いたものの、要らないという答えでした。
実は、実家を買って祖父母たちが住み始めた後に、地主さんが隣の家とうちの土地を購入していたらしく、住んでいる人の許可がなければ人が住んでいる土地をたとえ借地であっても勝手に購入するというのは法的にはNGで、祖母はそれに怒っていた(当時祖父はすでに他界)という話を聞いたことがあったんですよね。
地主のお隣さんとは、その件で揉めたこともあって…。お隣には同級生がいて仲良かったのだけど、わたしと遊ぶなと言われていて、うちの母が「大人の話なのに子どもにまでそんなことを言うなんて!」と怒っていたのを覚えています。
その後も、うちの裏側の崖が崩れたり、玄関前の壁が崩れたり、玄関までの階段が壊れても、それを地主さんが直してくれることはなく、すべてうちがお金をかけて手を入れていました。
「直して欲しい」と伝えても拒否されて「30年経ったら出ていってくれ!」と言われていたのです。これはわたしもなんとなく記憶にあり、契約書を確認すると、その借地契約が切れたのは、母が亡くなった翌年でした。
でも、わたし自身が実家を手放す決心がつかなかったので「借地契約はどうなっていますか?」と聞いてみました。そのとき、地主さんは「そんなのないから、いつまでも借りてくれていて構わない」と言ってくれたので、そのまま土地を借り続けていたのです。
地主さんは、わたしにならばずっと貸していてもいいから、わたしが借地料を払い、家を賃貸に出すのであればいいと言ってくださったのですが、改築費用は解体費用の何倍もかかります。そんな貯金はわたしにはありません。それなら手放してすっきりしようと解体することに。
坂道で重機の入らない場所だから費用がかさむ!
実家は、小さい車が一台通れるくらいのくねくねした坂道の途中にあり、そこから階段をくだったところに玄関がありました。
大きな重機が入るような場所だったら、安くで済んだのでしょうが、うちは手バラししかないと言われました。
相見積を5社ほど取り、家の中の残った荷物の処分も含んで一番安いところにお願いしました。個人事業主で協力しあって、住宅設備の工事や解体を請け負っている方でした。
費用は約160万円。他は200万超えでした。
この方は、賃貸の可能性を探ってくれた不動産屋からの紹介で知った方で、非常に良心的かつ親切でした。
解体は8割は職人さんがひとりで!
業者を決定した後、一旦、わたしは埼玉に帰り細かい条件を詰めることに。
最後の最後で揉めたくなかったので、こちらから提案をして、地主さんとも覚書を交わしました。
そして業者とも契約書の内容を決め、解体のスケジュールを組んでいきます。
- 支払いは最初に50%を支払い、解体完了後残りを支払うこと
- 保証人を立てること
これが業者の条件。
わたしは固定資産税を払いたくなかったので、
- 年内に必ず解体を終わらせること
- もし間に合わなかったら、こちらにかかる費用を負担すること
を条件にしました。
解体スタート時に、契約書を交わして半額を支払いました。
ホコリがするだろうしうるさいだろうからと志を持ってご近所へ挨拶回りをし、その後も数日、壊されていく実家の様子をちょくちょく見に行きました。
亡くなった母が夢に出てきた
わたしも、3歳の頃から育った家です。
おばあちゃんと一緒に月を眺めながら食べた卵かけご飯(卵の黄身と空の月を月見していた)のこと。
おばあちゃんと一緒に縁側で一緒に手芸したこと。仏間でおばあちゃんが日本舞踊を踊っていたのを見ていたこと。
小さい頃にあった土間。ネズミがお菓子をかじっていた。
いたずらをして母のカメラのフィルムに上書き撮影してしまったこと。網戸に穴をあけて怒られたこと。夜に怒られて玄関の外に放り出されて大声で泣いたこと。
親戚が集まる場所が苦手で、押し入れに隠れていたこと。母に怒られてトイレに閉じ込められたこと。トイレに落書きをしたこと。
小学校6年生まで、母とおばあちゃんと並んで寝ていたこと。壁にかけてあった猫の写真が夜中に動いているように見えたこと。天井の模様がうねっているように見えて眠れなかったこと。
水不足のときに土間にあった水槽と大きなバケツに水を溜めたこと。バラの花柄のベビーダンスに入れていたバスタオルの匂いが好きだったこと(今思うとホルムアルデヒドを含む接着剤の匂いです。笑)。
些細なことが全部思い出されます。
そして、ちょうど屋根が壊された頃に亡き母が夢に出てきました。
晩年、腰を悪くしてほとんど歩けなくなっていたのですが、わたしの部屋があった2階まであがってきて、うちから見える海をひとしきり眺めた後、振り返ってこう言いました。
「さあ、もう行こうか」と。
母はまだ実家に住んでいたのかもしれません。
わたしが実家に帰る度に、母が「おかえり」と言う声が聞こえるような気がしていたのは、母がまだそこにいたからかもしれないと思いました。
この海は、母も幼少期から眺めていた景色です(一番上のアイキャッチの写真)。
祖父が乗った船が見えたら、慌てて家に帰っていたと聞いたことがあります。
その海を最後に見ていたのかもしれません。
解体は滞りなく進み、無事に年内に税務署での手続きも終えることができました。
更地になった我が家は、ガラーンとしていて、まるで映画のセットをばらした後のようでした。


祖母が育てていた山茶花の木は、お隣さんが畑に植えてくれました。今も大きな花をつけていることでしょう。

実家のものをすべて持っていくことはできない
解体をスタートする前に、実家に置いていたものを全部処分するかどうかをかなり悩みました。
母も祖母も日本舞踊をしていたため、着物をたくさん所有していました。
悩んだ結果、祖母の嫁入り道具だった桐の箪笥と鏡台、母が本棚にしていた小さな棚、母と祖母の着物、食器を少しと祖母の代から使っているアルミの行平鍋と包丁、祖父母のアルバムと海軍だった祖父が持っていた小さな地球儀を持ってきました。
母が亡くなってから、遺品整理をかなりやっていたので、家の中はガランとしていましたが、それでも大物の箪笥が他にも残っていました。
そこで、ずっと気になっていて、いつかなんとかしなければと思っていたことを実行することにしたのです。
気になっていたのは仏壇のこと
母が亡くなってから、仏様と遺影と仏具のみを持ってきていました。
ローチェストの上に置いていたり、祖父がレコードプレイヤーの台にしていたものの上に置いたりして、仏壇らしい仏壇は所有しておらず、実家に祖母が買った大きな紫檀の仏壇がありましたが、それは今のマンションには置く場所がありません。
巷で売っている仏壇はびっくりするほど高い!そしてかっこよくない。
ある日、インドの国内線で出会ったヨーロッパ在住の日本人アーティストの方が、ご両親の遺骨を持って海外を引越しされているのをFacebookで見かけました。
壁にとりつけた小さな扉のない箱に遺骨が入った壺がふたつ並んでいて、そこには遺影も位牌も仏様もなく、小さな花瓶とグラスがお供えしてありました。
宗派に沿った仏壇を購入し、引越し先にはまず仏壇を運び、仏様をおまつりしてお経を唱えてもらう。
そんな話を聞いたことがありましたが、わたしの家は浄土真宗。嫁いだ先は禅宗。この先、仏壇が必要になるのはわたしだけ。だけど、キンキラの仏壇は買えないし置くこともできない。
であれば、リビングに調和する箱を準備すればいいじゃないか。
そう考えて、どうせなら箪笥をリメイクできないかと思い、大学時代の先輩に相談することにしました。
「祖母の箪笥をリメイクして仏壇のようなものを作ってもらうことが可能でしょうか?ついでに足踏みミシンもリメイクして欲しいんです」


現物の写真とともに先輩へメールしました。
「なんとかなると思うから、とりあえず送って」
そう言ってくれたので先輩の工房へ直接送り、「デザイン画は描きますから!」と勢いよく言ったものの、仕事の立ち上げやいろいろな雑用に追われているうちに約2年が経ってしまいました(笑)
デザインはぼちぼち進めていたのですが、いまいち決めきれず、見直しを繰り返しているうちに他の仕事を立ち上げて放置…みたいなことをしてしまいました…。
先輩には本当に申し訳なかったです…。優しい先輩で良かった…!
そろそろやりませんか?
そう連絡があり、ようやく真剣にデザインに向き合いました。
ミシンの台の方は、撮影していた写真に手描きでサイズなどの指示を書き込んで渡し、仏壇のデザインはきっちりと仕上げました。


リビングのテレビ台の横に設置することを考えていたので、前に余計な椅子などを起きたくなかったため、立ってお参りができる高さに。
今後引っ越すことも予想されるため、持ち運びしやすいよう上下を分けられるようにデザインしました。
大きな部材が必要なところは新しい木材を使ってもらい、箪笥は再利用できる部分を再利用してもらうことに。
ほぼメールのみのやりとりで、細部をつめていきました。色見本を送ってもらって色を決めたり、取っ手を再利用するのか新しい物を使うのかを決めたり…。
できあがり
最後まで悩んだのは、箪笥の取っ手を再利用するかどうかでした。新しいシンプルなものにした方が現代の住空間には合ったのかもしれません。
でも、再利用することにしました。
それは思い出があるからです。小さい頃に箪笥を開け締めして遊んでいたことを思い出すことができるだろうと、サイズ感はちょっと合わなかったけれど再利用してもらうことにしました。
できあがった仏壇はこちら。

遺影は飾っていません。引き出しを引き出すと、祖父母と母の遺影が見られるようにしています。
お線香をあげてお参りするときは、引き出しをあけてお参り。
今は、扉にちょっと隙間があいてきているのですが…材木の乾燥によるものでしょうね。仕方ありません。
ミシンの台は、こうなりました。

足踏みの部分は木枠で動かないように止めてくれています。
ミシンの前板を活かしてもらうよう頼みました。

25年ほど前に、叔母が捨てようとしていた小引き出しを上に置いています。
ミシン本体も捨てることができずにただのディスプレイとして使っています(笑)
わたしは家具の色は深めの色が好きです。今いるマンションは、購入時に床材はすでに決まっていました。このよくあるチープな色がどうにも苦手なので、ダイニングテーブルも濃い色を選んでいます。
海外へ引っ越す友人から譲り受けた革張りのソファーも、祖母の嫁入り道具だった桐の箪笥や鏡台も濃いめのブラウンだったので、家具で色味をつなぐイメージで、今回の仏壇もミシンの台も同じ系統の色にしました。
ほとんど使っていなかったインテリアコーディネーターの資格が活きたかもしれない!と思っています(そんな大した話じゃないですけどね。笑)
仏壇に使っている一輪挿しは、大学時代の恩師の作品。
大学を卒業してまもなく亡くなった恩師の回顧展を企画した際、奥様から譲ってもらった大切な一輪挿しです。仏壇にフィットしていると思いません?
今回、家具をリメイクしたことで、捨ててしまえばそこで終わってしまうけれど、生活スタイルに合わせて使えるものは使っていきたいなと改めて思いました。
アンティークは昔から好きなのですが、西洋化した現代の住空間に和モノを合わせるのってけっこう難しいんですよね。
大学時代も古物屋さんに通ったりして、アンティークのものを部屋に置いていましたが、「日本が好きな外国人の部屋みたい」と周りの人から言われていました(笑)
ちなみに、処分した箪笥も小さな引き出しのみを持ってきていて、仕事の書類を入れたりするのに使っています。
今回お世話になった先輩の家具工房「艸朴舎」はこちらです(「そうぼくしゃ」と読みます)。
福岡まで出向いて面と向かって打合せができればよかったのですが、離れているためすべてをメールのやりとりでこちらの希望を汲み取ってくださいました。ありがとうございました!
奥様も大学の先輩です。奥様は染織教室をされているみたいですよ。近かったら通いたい!とても素敵なご夫婦です。お近くの方は工房を訪ねてみてくださいね。
アップサイクルの試みは、まだ続いておりまして。
家具以外のものも、活かすことができないかを妄想中です(笑)
すぐにはできませんが、和室部分をリフォームしたいなという妄想も膨らませています。